毎年、野球のシーズンが終わると私の仕事は陸上中心になります。9月くらいから駅伝、マラソンの取材を始めるのですが、その予定をプロデューサーと立てていた矢先‥悲しいニュースが入ってきました。
オツオリさんは山梨学院大学時代の1989年から3年連続で箱根エース区間2区で区間賞をとるなど活躍し、大学留学生ランナーの先駆者として注目されていました。その後、トヨタ自動車でも活躍し一時ケニアに戻っていました。そして2003年に再び日本にやってきました。2004年10月から新潟に本社がある重川材木店で大工として働きながら陸上部のコーチ兼選手としてチームを引っ張り、見事 今年行われたニューイヤー駅伝初出場にチームを導いたのです。
オツオリさんとの初めての出会いは名古屋ハーフマラソンの取材でした。レースは風邪で欠場し、しばらくたって帰国したので過去の華やかな記録しか私の脳裏に残っていなかったのですが‥‥
去年、新潟で再び取材する機会が巡ってきました。大工をやりながら走り、ニューイヤー駅伝出場を目指す!重川材木店陸上部の取材です。いつしか新潟にやってきた彼は大工をしていたのです。「やっぱり走りたい。ケニア人選手も育てたい。将来ケニアに戻ったら家造りもしたい」そんな夢一杯の彼は建築現場で楽しそうに大工仕事をしていました。どこのチームにいても愛されるムードメーカーのオツオリさん、誰もオツオリさんを悪く言う人はいませんでした。他チームのケニア人選手からはボスと呼ばれ慕われていました。
今年も会えると思っていたのですが残念です。
ニューイヤー出場を掛けた戦い中部北陸実業団駅伝が11月12日下呂で行われます。オツオリさんの思いきっと届くはずです。
オツオリさんのご冥福をお祈りいたします。
角上清司
お詫び 広島江波の話は後日書きます。
*ご注意
投稿者:さすらいのGI(ジーワン)ハンター | 2006年09月01日 23:11
オツオリさんの事故のニュースを聞いて私もびっくりしました。私は、箱根駅伝やニューイヤー駅伝をよく見ますがオツオリさんの走りは今でも鮮明に覚えています。大工さんをやりながらある時は選手、ある時はコーチと三足の草鞋を履いていたオツオリさんには頭が下がります。このような素晴らしい人の早すぎる死が残念でなりません。最後になりましたが、ご冥福をお祈りします。