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<コラム>ドラゴンズ背番号に物申す

北辻利寿

2017年8月22日

画像:足成

横浜スタジアムを吹き抜ける夏風は、一瞬にして日中の暑さを忘れさせるものだった。

屋外球場でナイターを観戦するのは一体いつ以来のことだろうか?
1996年(平成8年)10月、翌年からナゴヤドームに本拠地を移す中日ドラゴンズのシーズン最終戦を観たナゴヤ球場以来、実に21年ぶりか・・・。
幼き頃から中日スタヂアムそしてナゴヤ球場といった"屋根のない球場"に通った自分にとっては実に懐かしい夏風である。

ハマスタ特製のクラフトビールの美味しさに驚き、場内カメラが観客を映し出しアナウンスで"いじる"演出に笑い、横浜DeNAベイスターズのオフィシャルサポーティングガールズ「diana(ディアーナ)」に合わせてスタンドで踊る子供ファンに圧倒され、そしてスターティングメンバー発表。
先攻であるドラゴンズの先発メンバーを見ながら思った。
背番号の数字が重い・・・。
 
今シーズンに入って、ベンチ登録メンバーを見ると、内野手が荒木雅博選手の「2」の次がいきなりA・ゲレーロ選手の「42」となっていて驚いたことがあったが、横浜スタジアムで「京田、谷、大島、ゲレーロ・・・」と読み上げられる選手の背番号の大きな数字をあらためて実感した。

この試合のスターティングメンバー8人(投手除く)の背番号の合計数は「334」だった。
最も小さな数字が藤井淳志選手の「4」、最も大きな数字が谷哲也選手の「70」。
ドラゴンズの中心選手の背番号について、選手の名前が入った応援歌『燃えよドラゴンズ!』から振り返ってみたい。

20年ぶりにセ・リーグ優勝をした1974年(昭和49年)、最初の『燃えよドラゴンズ!』で歌われた、1番の高木守道選手から始まり、谷木→井上→マーチン→谷沢→木俣→島谷→広瀬と続いた"伝説の"スタメン8選手、その背番号の合計は「67」である。

"野武士野球"を旗印にセ・リーグ優勝した近藤貞雄監督の1982年(昭和57年)は、最終戦まで首位打者を争った1番の田尾安志選手から始まり、平野→モッカ→谷沢→大島→宇野→中尾→田野倉、これで背番号合計「133」。
この時に背番号「57」だった平野謙選手は翌年から背番号「3」に変わるので、そうなると一気にマイナス54で「79」。

落合博満監督の下で、球団初の連覇をめざした2005年(平成17年)は、2000安打を今年達成した1番荒木雅博選手から始まり、井端→立浪→ウッズ→福留→アレックス→森野(井上)→谷繁という8選手で背番号合計「95(96)」。
こう振り返ってみると、いかに今季、一軍のゲームで出場している選手の背番号が大きい数字かが分かる。
誤解してはいけないのは、背番号の大小で選手の活躍が決まるのではないということ。代表的な例はイチロー選手で、「51」という数字を背負い続けている。
この夜の相手、ベイスターズだって田中浩康選手「67」、首位打者争い中の宮崎敏郎選手「51」と大きな番号を背負っている。当のドラゴンズでも野手で今年最も目立っているルーキー京田陽太選手が「51」なのだ。
それでも、やはり野球の場合、グランドには9人、「ナイン」と呼ぶのだから、背番号は若い数字に注目してしまう。

ドラゴンズの背番号の系譜を見るにつけて、ここ数年は、期待されて若い数字の背番号をもらった選手、またはドラゴンズ栄光の名選手背番号をもらった選手が活躍できていない。長年ドラゴンズを愛し続けているファンの立場としての思いであるが、ファンは好きな選手の背番号の入ったユニホームやタオルを買って球場で応援したい。
その数字は分かりやすいものがいいし、伝統の名背番号がいいし、もちろん必ずゲームに出場してほしい。
せっかくその背番号グッズを買った選手が、時々しか出場しない、ましてや一軍ベンチにいない。こんな状態ではファンはやりきれない。
今年のシーズンオフには既存番号のシャッフル含めて、ドラゴンズには大胆な背番号の再編成に期待したい。
 
ハマスタ観戦でもうひとつ印象に残ったことがある。山崎康晃投手含めてリリーフ投手が打者に投げる直前に、球場全体に自然に巻き起こる拍手。
それは応援団にリードされるのではなく自然にハマの夜空に響き、ベイスターズ選手を温かく包み込んでいた。

シーズンも残りわずか、依然として竜の苦しい戦いが続く。
ファンとしてアウェイの球場に身を置きながら、3塁側ベンチに熱い思いを送る・・・ドラゴンズ頑張れ!

【東西南論説風(6)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

中日vs巨人・戦いの歴史ひとかけら

北辻利寿

2017年8月18日

画像:足成

プロ野球の2017年シーズンも大詰めを迎えています。
ナゴヤドームでは、夏休み後半に中日ドラゴンズと讀賣ジャイアンツの2連戦がありますが、伝統あるこの両チームは、1936年(昭和11年)からこれまでに1907試合戦っています。
ドラゴンズ側からの通算対戦成績を見てみますと、ドラゴンズの827勝1025敗55分。
昨シーズン、最下位だったドラゴンズですが、ジャイアンツには13勝11敗1分と勝ち越すなど、このところ頑張っている印象が強いのですが、通算対戦成績では200勝近い差をつけられています。
やはりジャイアンツは強いですね。
様々なドラマを歴史に刻んできた両チームの対戦ですが、何と言ってもまず思い浮かぶのは、シーズン最終戦に同率で並び、勝った方が優勝という1994年(平成6年)10月8日いわゆる「10.8」決戦です。
地元ナゴヤ球場で戦ったドラゴンズ、6対3で長嶋茂雄監督率いるジャイアンツに破れましたが、肩を脱臼しても一塁にヘッドスライディングした立浪和義選手の鬼気迫るプレイなど、数々の記憶を残しました。
毎年8月になると思い出すのが、近藤真一(現・真市)投手がプロ入り初登板初先発で、ジャイアンツ相手に見事ノーヒットノーランを達成した1987年(昭和62年)8月9日のゲームです。
高卒ルーキーをいきなりジャイアンツ戦に先発させるという星野仙一監督の大胆な選手起用が、ドラゴンズの歴史に素晴らしい1ページを残しました。
近藤さんは現在ドラゴンズの1軍投手コーチ。若くて粋のいい、そしてファンを夢中にさせるような投手をどんどん育ててほしいですね。

もうひとつ8月の記憶としては、66年前の1951年(昭和26年)8月19日。
中日スタヂアム(現ナゴヤ球場)のスタンドで火災が起き、3人が死亡、300人以上がケガをするという大惨事になりました。
これもジャイアンツ戦です。この時のスタンドに当時は小学生だった高木守道さん(後にドラゴンズの名二塁手さらに監督)が観客としていたというエピソードは有名です。
記憶から記録に目を向けてみましょう。2003年(平成15年)9月16日のジャイアンツ戦の6回裏、ドラゴンズは何と11連続得点をあげました。
1イニングでの11連続得点はセ・リーグ記録です。
この時の監督は途中休養した山田久志監督に代わって采配をふるっていた佐々木恭介監督でした。翌年からは落合博満監督が率いた8年に及ぶ黄金時代、その兆しを感じさせる勢いでジャイアンツに19対2の圧勝でした。
逆に残念な記録もあります。
1ゲームで6個の併殺というのはプロ野球記録ですが、これは、1950年(昭和25年)4月29日にドラゴンズがジャイアンツ戦で喫しました。
野球は普通9イニングですから、6併殺というのはなかなか破られることのない不名誉な記録です。この時は21対6で、もちろんジャイアンツが勝ちました。
このようにプロ野球はじめスポーツは、「記憶」を辿り「記録」を意識して観戦するとさらに楽しみが増すと思います。
そして何といっても大切なことは「現在(いま)」です。
1907試合戦ってきた中日ドラゴンズと讀賣ジャイアンツ、次の試合でどんな新しい「記憶」と「記録」を残してくれるか、楽しみですね。

【イッポウ「金曜論説室」より  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

お盆に思う阿久悠さんと国民栄誉賞

北辻利寿

2017年8月15日

画像:足成

お盆を迎えた。

不思議なもので、毎年この時期は亡き人に思いを馳せる気持ちになる。

「偲ぶ」というほどに時は経っていないが、この夏、ふたりの音楽家が旅立っていった。

作曲家・平尾昌晃さん(享年79)と作詞家・山川啓介さん(享年72)である。

そして、その訃報に接してお二人の功績、それぞれがお作りになった歌が実に多種多彩で魅力にあふれていたのかを再認識した。

あらためて驚いたと言っても過言ではない。

平尾昌晃さんは、何と言っても五木ひろしさんと小柳ルミ子さんという二人に作った名曲が浮かぶ。

五木さんの『よこはま・たそがれ』そして日本レコード大賞を受賞した『夜空』、小柳さんのデビュー曲『わたしの城下町』そして『瀬戸の花嫁』は日本の歌謡史において今も輝きを放っている。

そして教え子であった畑中葉子さんとのデュエット『カナダからの手紙』。

平尾さん死去の後で「平尾さんの曲と言えば何?」というアンケートがあったが、断然トップだったのがこの歌だった。

個人的には水谷豊さんの『カリフォルニア・コネクション』そして先ほどの五木さんの『別れの鐘の音』などが好きだが、その平尾さん、ドラマ「必殺シリーズ」の曲も手がけていた。

歌手も俳優もおやりになり実に幅広い。

年末のNHK紅白歌合戦のラスト、『蛍の光』の指揮者でおなじみの平尾さんと違って、山川啓介さんは訃報をきっかけにその作品群を見直したのだが・・・。

岩崎宏美さんの『聖母たちのララバイ』、中村雅俊さんの『ふれあい』などの名曲の他、矢沢永吉さんの代表曲『時間よ止まれ』も山川さんの作品と知り、これも驚きだった。

個人的には大好きだった青春ドラマ『飛び出せ!青春』主題歌『太陽がくれた季節』が浮かぶ。

そして、平尾さんの「必殺シリーズ」同様に、山川さんも『勇者ライディーン』シリーズをはじめアニメや特撮の主題歌を沢山書き残している。

こちらも幅広い活躍だった。

訃報によってあらためて作品をたどり、その偉大な功績に触れたお二人と違って、この夏で没後10年を迎えた阿久悠さんの場合は、相当数の作品を生前から十分認識していた。

特に1971年(昭和46年)から1980年(昭和55年)の10年間に、『また逢う日まで』『北の宿から』『勝手にしやがれ』『UFO』『雨の慕情』と作詞作品が5回も日本レコード大賞を受賞したことは、日本の歌謡史に輝く功績である。

先日もテレビで阿久さんの追悼特集を放送し『ジョニィへの伝言』『五番街のマリーへ』なども披露されていたが、いつも思うことは、なぜ「国民栄誉賞」に選ばれなかったのだろうか、という疑問である。

国民栄誉賞は、1977年(昭和52年)にプロ野球選手だった王貞治さんが最初に受賞して以来、これまでに24の受賞例(個人23・団体1)がある。

この内、作曲家は、古賀正男さん、服部良一さん、吉田正さん、遠藤実さんの4人が入っているが、作詞家はひとりもいない。

「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」と基準にあるが、この国民栄誉賞は、時の政権の思惑が大きく影響するということは否めない。

賞の価値や権威についてはそのまま認めることに異論もあろうが、阿久悠という作詞家の評価がそうした政治の隙間に入り込んでしまっていたのなら、やはり残念だと思う。

もうひとり、この夏に30周忌を迎えたのが俳優であり歌手でもあった石原裕次郎さん。

美空ひばりさんと並ぶ"昭和の大スター"だが、受賞者の美空さんと違い、石原さんも国民栄誉賞を受賞していない。

こうして見ると、この手の賞というものは気まま側面があるものだと、これも再認識してしまった。

もっとも阿久さん同様、賞以上の思いが、多くの人たちから寄せられたことは今さら言うまでもないが・・・。

阿久さんの書いた作品の中で好きな歌に沢田研二さんの『時の過ぎゆくままに』がある。逝く人、逝った人、時の過ぎゆくままに思いを馳せながら、ふとこの歌を口ずさむ今年のお盆である。

東西南論説風(5)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

「平和首長会議」...核兵器のない世界の実現をめざして

後藤克幸

2017年8月11日

長崎市で4年に1回の「平和首長会議」が開かれました

 1982年に広島市と長崎市の市長の呼びかけで設立された「平和首長会議」には、

世界の162の国と地域から7400を超える都市が加盟しています。核兵器廃絶を目指して

世界の街が連携しようと、4年に1回、広島と長崎で交互に開かれます。今年はその開催年。

8月7~10日の3日間、「核兵器のない世界の実現をめざして」をテーマに長崎市で開かれました。


●今回の「平和首長会議」がとくに世界から注目される理由があります。

 7月に国連で「核兵器禁止条約」が国連加盟国の6割以上の賛成を得て採択されました。戦後初めて、国連の場で「核兵器は違法な兵器」と明確に位置づけられました。しかし、世界唯一の被爆国の日本と、アメリカ、ロシアなどの核保有国は、この条約に賛同しませんでした。

 その直後に開かれた今回の「平和首長会議」では、採択された「核兵器禁止条約」を具体的に機能させ世界の核兵器廃絶を実現するために世界の各都市が何をすべきか?また、核保有国に対して条約への早期の参加を促すためにどのようなアピール活動をすべきか?・・・など、とても重要な話し合いが行われる会議となるからです。


現実は厳しいのも事実。しかし・・・

 「核兵器禁止条約」の採択は、被爆者の切実な声を反映した画期的な成果でしたが、それ自体がゴールではありません。世界には現在、1万5000発近い核兵器が存在しています。

 長崎市の田上市長は、9日の長崎原爆の日の「平和宣言」で、『核兵器が必要と言い続ける限り核の脅威はなくなりません。核兵器を持つ国々と核の傘の下にある国々に訴えます。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直して下さい。日本政府に訴えます。核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への1日も早い参加をめざし、核の傘に依存する政策の見直しを進めて下さい。日本の参加を国際社会は待っています』と強く訴えました。そして、「平和首長会議」にもふれて田上市長は、『世界7400の都市が参加する平和首長会議のネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の

仲間たちとともに世界に発信します』と宣言。

 

そして「平和首長会議」最終日の8月10日。


 国連で7月に採択された「核兵器禁止条約」の早期発効をめざして、すべての政府に署名と批准を求めていくことを掲げた「ナガサキアピール」を発表して、会議は閉幕しました。

「ドラゴンズ苦闘の中に光あり」

北辻利寿

2017年8月 8日


画像:足成

中日ドラゴンズの苦しい戦いが続いている。
球団創設80周年の記念イヤーだった去年は19年ぶりに最下位に沈み、4年連続Bクラスという球団ワースト記録を更新してしまった。
谷繁元信監督がシーズン途中に休養するという、80周年のお祝いにはほど遠いシーズンだった。
そして、森繁和新監督を迎えての2017年シーズン。
現在まで100試合余りを戦ってきたが、2ケタの借金を抱えての5位と、なかなか勢いに乗り切れない。

しかし、キラリと光るゲームも数々ある。
最近では8月6日、東京ドームでの讀賣ジャイアンツ戦。
先制した1点を守備のミスもあって4対1と逆転された。
しかし藤井淳志選手の初球打ち3ランで同点にすると、8回にルーキー京田陽太選手が再びリードするタイムリーヒット。
それを日本ハムからトレードで移籍したばかりの谷元圭介投手が0点でつなぎ、そして・・・。
9回のマウンドに上がったのは今シーズン不動の抑えである田島慎二投手ではなく、岩瀬仁紀投手だった。
岩瀬投手にとって、この登板はとてつもなく重いものだ。
なぜなら、2日前に試合で記録に並んだ歴代最多登板の単独トップに立つ950試合目だったからである。
このところ田島投手が東京ドームの抑えで失敗続きということもあるのだが、ベンチは実に粋な采配をするものだと感心した。
ましてや相手はジャイアンツなのだ。岩瀬投手は9回を抑え404セーブ目によって950試合登板という大記録に自ら花を添えた。

そしてこの記念ゲームをさらに光ったものにしたのが、守備陣の"ファインプレー"である。
一死一・二塁のピンチ、坂本勇人選手の大飛球はセンター大島洋平選手によって好捕されたが、スタートしていた一塁ランナー重信慎之介選手がすでに越えていた2塁を踏み直さずに1塁へ戻るという帰塁ミス。
野球規則により「通過したベースを踏みなおさねばならない」のだが、これをドラゴンズの内野陣が見落とさず、プレー再開と共にアウトにしてゲームを終えたのだ。
野球には実に様々なルールがあるが、グランドの上でそれを実践することは鉄則。
ましてこれはアピールした場合に適用されるプレーなのだ。
ドラゴンズナインが集中してゲームに臨んでいた証しであろう。
岩瀬起用というベンチ好采配と共に、2017年シーズンの歴史に刻まれる一試合となった。

「見逃さない」プレーは今年もうひとつあった、6月10日、京セラドームでのオリックスバッファローズ戦。
ホームランを打ったクリス・マレーロ選手が本塁ベースを踏まなかったことをドラゴンズの松井雅人捕手が見逃さず、ホームランは取り消しとなった。
かつて高校時代に読んだ野球漫画『ドカベン』で、岩鬼正美選手が夏の甲子園大会決勝でホームランを打つも三塁ベースを踏み忘れるミスを冒したが、ふとそれを思い出す珍しいシーンだった。
こうしたドラゴンズ選手の緻密なプレーを見ると、野球ルールを熟知していた落合博満監督に率いられ優勝を繰り返した2000年初頭の頃を懐かしく思い出す。

反対に「おや?」と思う采配もあった。
4月1日の開幕2戦目ジャイアンツ戦。
前夜の開幕戦では、ルーキー18年ぶり開幕スタメンという京田選手が初ヒットを打つなど躍動。
しかし2戦目は相手が左投手ということもあってかスタメン落ちしたことだ。
若い選手は勢いが出ると強さを発揮する。その後の京田選手の活躍を見ればなおさらである。
もうひとつは、荒木雅博選手の2000安打がかかった6月3日の楽天イーグルス戦の1回裏。
先頭の京田選手がヒットで出塁した後、記録まで残り1本となった荒木が打席に入る。
ここは送りバントが定石だが、ベンチは荒木選手にバントではなくそのまま打たせたのだ。少しでも早く記録達成を期待する気持ちは誰もが同じ。
しかし野球はチームが勝たなければならない。
ここは迷いなく、送りバントでいくべきだった。
"個"にこだわっていては"チーム"は勝てない。
2007年日本シリーズでは、完全試合目前の山井大介投手を岩瀬投手に交代させた采配があった。
森監督はシーズン前に宣言したように各コーチを信じて、ベンチ全体でゲームに臨んでいる。
おそらく、監督というよりベンチ全体の判断なのだろうが、私だけでなく竜党仲間からも「あそこは送りバントだった」と同じ意見が届いた。

2017年ペナントレースも残り試合が3割を切った。
暑い夏にもやがて秋風が吹く。こうしてドラゴンズの戦いに好き勝手なことを言えるのもファンの特権である。
そしてその特権を存分に活かすためにも、球場に足を運んだり、テレビやラジオの中継で応援したり、とにかく"おらがドラゴンズ"の戦いを見ていてほしい。
愛してほしい。
それがチームを強くするために、ファンが歩む最も近道だと思う。          
【東西南論説風(4)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】