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シリアからの悲しいニュース、いま考えること。

石塚元章

2015年2月 2日

過激派組織「イスラム国」とみられるグループが、フリーランスのジャーナリスト・後藤健二さんを殺害したとする動画が公開された。この知らせに対しては、怒りや悲しみなど、皆それぞれの思いがあるはずだ。

私は放送局の人間として、後藤さんがフリーのジャーナリストだった...ということを改めて考えた。

日本の放送局の場合、戦争取材などでフリー・ジャーナリストや地元に暮らしている人たちを頼ることがある。万一の事態を避けたいという気持ちが頭をもたげてしまうからだろう(そうではない人だっているし、そうした判断が正しい場合だって、もちろんあるが...)。

1999年。私はユーゴスラビアで、NATO軍による空爆や内戦・民族対立が続くコソボと呼ばれるエリア(のちに独立)を取材していた。武装した治安部隊や空襲警報、衛星電話をどうやって隠すかの算段...などにようやく慣れ始めたころ、案の定、「そろそろ撤退しては...」の声が上がり、議論となった記憶がある。

日本のメディアに比べれば、欧米メディアはよほど果敢だったし、かなり危険な現場でさえ女性の記者やディレクター、カメラマンの姿も多く目にした(当時、危険な現場に赴く日本メディアはほとんどが男性だった...。今だって、たいして変わっていないと思う)。

後藤さんがこれまで何を伝えてきたのか、多くの人はいま初めて目にしている。

日本の放送局がやってこなかった仕事や役割のいくつかを、彼ら・彼女らが、懸命に果たそうとしている。そこに気づくとき、今回のニュースが持つ意味はさらに重く、悲しみはさらに深い。