ドラフト会議迫る!ドラゴンズの選択は?

北辻利寿

2017年10月20日

【CBCテレビ イッポウ金曜論説室】

プロ野球のドラフト会議が10月26日に迫ってきました。

今年の注目選手をご紹介しましょう。

何と言っても今回のドラフトの目玉は、早稲田実業高校の清宮幸太郎内野手です。

高校通算111本塁打という華々しい記録を打ち立てました。

球場をファンで満員にしてきた超人気選手です。

そして同じ高校生では広陵高校の中村奨成捕手。

今年夏の甲子園ではホームラン6本を打ち、PL学園高校の清原和博選手が持っていた 記録を塗り替えました。

キャッチャーとしても高い評価です。

そして大学生では、立命館大学の左腕・東克樹投手。

ノーヒットノーランをなんと2回も記録しました。

社会人ではJR東日本の田嶋大樹投手やヤマハの鈴木博志投手らが各球団からの1位指名候補です。  

●地元の中日ドラゴンズについて補強したいポイントを整理しましょう。

まず「先発投手」。

「先発投手は何人いてもいい」と言われるほどです。

投手王国の復活には欠かせません。

また安心して勝ちゲームの最後に送り出せる「抑え投手」もほしいですね。

そしてキャッチャー。

結局、今シーズンもレギュラーキャッチャーを1人に絞りきれませんでした。

ドラゴンズには谷繁元信さん以来、正捕手がいません。

補強が必要です。 打つ方では「代打の切り札」となるような強打者もほしいところですね。

しかし、今のドラゴンズに最も必要なのは「スター選手」です。

それもただのスター選手ではなく「全国区のスーパースター」でしょう。  

●なぜ「全国区のスーパースター」が必要なのでしょうか?

ドラゴンズの本拠地ナゴヤドームの入場者数ですが、NPBの資料から算出しますと、1997年のオープン初年度は年間250万人を超えていたものの、年によってばらつきがあるものの緩やかに減り続け、今季は197万4724人と200万人を割りました。

また1試合平均の観客数も2万8619人とナゴヤドーム21年の歴史の中で、過去最低でした。

ゲームに勝つことはもちろん大切ですが、5年連続Bクラスと低迷する今のドラゴンズには新たなそして強力な"起爆剤"、ナゴヤドームを連日満員にするスーパースターが必要でしょう。

満員のファンの熱烈な後押しで、チームも強くなっていくことに期待しましょう。

すでに阪神タイガースは清宮、広島カープは中村、それぞれ指名を公表しましたが、ドラゴンズは誰を指名するのか、まだ明らかにしていません。

もし、高校生のスーパースターを指名して獲得できたのなら、2~3年様子を見るというのではなく、思いきって開幕から即スタメンで起用してほしいと期待します。  

●注目のドラフト会議は「プロ野球各球団の選択」ですが、その前に「私たちの選択」が

迫っています。

10月22日に投票を向かえる衆議院総選挙です。

前回3年前の総選挙は投票率が戦後最低の52.66%でした。

台風も接近中でお天気も心配ですが、日本の将来を決める大切な選挙です。

必ず投票に出かけていただきたいと思います。

【イッポウ「金曜論説室」より  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

先生、タイムカードを押しますか?

北辻利寿

2017年10月11日

スポーツの秋。

そんな中、卓球は空前のブームだそうである。

 

卓球台を備えた体育館なども利用したい人の人気殺到、ネット上には「練習会場を確保する抽選必勝法」などの指南ページまで登場している。

卓球台も生産が需要に追いつかず、学校から発注してもすぐには品が届かない特需だそうだ。

「地味」とか「根暗のスポーツ」とか言われた日々がまるで嘘のよう。"愛ちゃん"と皆に親しまれている福原愛選手が火を点けた卓球人気も、1年前のリオデジャネイロ五輪のメダルラッシュで完全に燃え上がったと言えようか。

 

卓球を本格的に始めたのは中学時代だった。

通っていた中学校には、卓球指導者としては全国的にも有名な顧問の先生がいた。

ジュニアスポーツは指導者の力量が大きな影響を持つ。

この先生のお陰で私たちの母校は、いわゆる"強豪"と呼ばれていた。

その分、練習もハードだった。当時はまだ週休2日制ではないため、月曜から土曜までの授業後は練習。

さらに、日曜の午後にも練習があった。

文字通り"卓球漬け"の毎日で、ラケットを握らない日はほぼなかった。

そして、その練習にはすべて顧問の先生が立ち会って指導して下さった。

 

教員の長時間労働が問題化している。

2017年8月、文部科学省の中央教育審議会・特別部会は「学校における働き方改革に係る緊急提言」をまとめて発表した。

その全文を読んでみたが、最初の一文に「勤務時間を意識した働き方を進めること」と、一般企業ではすでに当たり前に言われていることが明言されているところに、この問題の根深さがある。

 

1972年(昭和47年)に制定された法律に「教員給与特別措置法(給特法)」がある。その中で、教員には時間外勤務手当や休日勤務手当は支給されず、その代わりに基本給の4%にあたる調整額が支給されることが定められている。

すなわち、法律上、教員の残業時間はゼロなのだ。

その流れが半世紀近くにわたり学校の先生を巻き込んできた。

その流れを変えようというのが、今回の緊急提言である。

 

提言の中では、学校の働き方改革について、いくつかの具体的な案を示している。

まず目につくのが、勤務時間を把握するためにICT(情報通信技術)やタイムカードなど客観的な集計システムを導入すること。

さらに、職員会議や部活動などは勤務時間を考慮した時間設定を行い休養日も設けること。そして、夏休みなど長期休暇期間には一定期間の「学校閉庁日」を設けることなどが提言されている。

 

 

文科省の最新の実態調査では、タイムカードなどで退勤の時刻を記録していると回答したのは、小学校で10.3%、中学校で13.3%。はたしてタイムカードというシステムが有効かどうかはともかく、勤務時間の把握が、いかに教員の自己申告に委ねられているかという現状はうかがい知ることができる。

2016年12月に連合総研がまとめた「日本における教職員の働き方・労働時間の実態に関する研究委員会」報告書では、在校時間について、小学校教諭が平均11時間33分、中学校教諭が平均12時間12分であり、民間の労働者の平均9時間15分に比べて相当長いことが指摘されている。

その上で、出退勤の正確な記録は9割近くが把握されておらず、報告書は「学校管理者の労働時間管理の欠落と労働者の労働時間意識の欠落」と指摘している。

 

文科省の緊急提言はまとまった。

しかし、大切なのは次の一歩である。

タイムカード導入にせよ、教員をサポートするスタッフ派遣にせよ、しっかりした予算措置があってのこと。

半世紀もの流れを変えるには相当なパワーがいることだけは間違いない。

そして忘れてならないのは「教員」すなわち「学校の先生」という仕事の重要性である。緊急提言の中にも「毎日児童生徒と向き合う教員という仕事の特性も考慮しつつ」という文言があるように、その存在は教え子の人生に大きな影響を与えるからだ。

 

中学時代に卓球の基本を徹底的にたたき込まれたお陰で、高校そして大学と卓球人生が続いた。

大切な仲間もいっぱいできた。それは10代前半での顧問の先生の熱心な指導があったからこそと今でも感謝しているが、先生の私生活そして健康面などに支障はなかったのだろうか・・・。

そう言えば、日曜日の練習の時に、まだよちよち歩きの男の子が体育館の隅にいて、ピンポン球を並べて遊んでいたような・・・。

先生の幼き長男だった。

働き方改革の動きは、過去の記憶まで呼び起こす大きなうねりとなって押し寄せている。  

                                    

東西南論説風(13)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

10月10日は何の日?総選挙公示、そして・・・

北辻利寿

2017年10月 9日

【CBCテレビ イッポウ金曜論説室】

●10月10日は何の日かご存知ですか?
年配の方を中心に、かつての「体育の日」というイメージが強いのではないでしょうか。
1964年(昭和39年)10月10日、東京五輪が開幕しました。
第二次大戦後の日本にとって、国が国際的にも認められ戦後復興の大きな弾みとなる大会でした。これに合わせて、東海道新幹線も開通いたしました。
夏季五輪としては随分遅い開幕ですが、総務省によりますと、これは東京の気温や湿度などを考慮した上で、さらに過去の気象統計上で晴れが多い日を選んだということです。現在はハッピーマンデー制のため、「体育の日」は必ずしも10月10日ではありませんが、やはり長年の印象は強いですね。

●今年の10月10日は、何と言っても第48回衆議院議員総選挙の公示日です。
安倍政権の突然の解散に始まり、小池百合子東京都知事による新党「希望の党」結成、民進党が分裂しての「立憲民主党」の誕生など、政権選択選挙として注目されます。
そして、北朝鮮では朝鮮労働党の創建記念日。
ミサイル発射の懸念もある中での10月10日です。

●そんな10月10日ですが、実は沢山の姿を持っている日です。
例えば「空を見る日」。
長野県の社会文化グループが制定したもので、「10」すなわち「ten」=「天」とい
う語呂合わせから生まれました。

●また「お好み焼きの日」でもあります。
これも実は語呂合わせ、「10」を「ジュー」と読み、10月10日で「ジュージュー」。お好み焼きを鉄板で焼く時のいかにも香ばしい音ですよね。
こちらはソース会社が制定しました。

●この他、語呂合わせから生まれた日は多く、「銭湯の日」「totoの日」「トートバッグの日」「トマトの日」「転倒防止の日」なども、声に出して読むと理由が分かります。
ユニークなところでは「貯金箱の日」。
わかりますか?
「10」という数字を横にして、「0」をコイン、「1」をコインの投入口に見立てたもので、おもちゃのメーカーが決めました。

●また「おもちの日」でもあります。
これはかつての「体育の日」に由来するもので、スポーツの時のエネルギー源として
餅が効果的だと、餅の製造組合が決めました。

●この他、まだまだご紹介したいのですが、今年の10月10日については、やはり衆議院議員総選挙の公示を忘れてはいけません。
3年前の前回総選挙は、投票率が戦後最低の52.66%でした。
主権者である私たち国民が国の行方について、きちんと意思を示す大切な機会です。
しっかりと各党そして各候補者の主張を聞いて、10月22日には必ず投票所に行っていただきたいと思います。

【イッポウ「金曜論説室」より  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

フェイクニュースの考察 ~マス倫懇の会場より~

北辻利寿

2017年10月 5日

英BBCニュースが、ある人物の死去を報道した。

去年の米大統領選でフェイクニュース(偽のニュース)を拡散させたとして名が知られたポール・ホーナー氏である。

記事によると、ホーナー氏は9月18日にアメリカ合衆国アリゾナ州の自宅ベッドで死亡しているのが見つかったと言う。

38歳の死だった。

「ローマ法王がトランプ氏の支持を公式に表明」などの虚報をフェイスブックやWEBサイトに掲載して、今回の米大統領選のひとつの風景ともなった。

 

この訃報が報じられた同じ日、長野県長野市ではマスコミ倫理懇談会の全国評議会が開催されていた。

マスコミ倫理懇談会、いわゆるマス倫懇は「マスコミ倫理の向上と言論・表現の自由の確保」を目的に1955年(昭和30年)に創設され、その4年後に現在の全国組織となった。

新聞・通信・放送・出版200を超す企業や団体が加盟、毎年秋に全国大会が開催され、その時代にマスコミが直面している様々なテーマや共通の課題を話し合う。

今年の大会には全国から300人余りが参加した。

 

「実名報道」「災害報道」「地方自治」などテーマ別に開かれた7つの分科会の内、「ネット時代に世論はどのように作られるのか」と題された分科会では、まさにそのフェイクニュースが取り上げられていた。

ホーナー氏が関わった米大統領選がきっかけとなって、フェイクニュースという言葉は一躍メジャーになった。

注目のテーマとあって、分科会の会場はフェイクでない熱気にあふれていた。

 

大学の研究者やネット炎上監視会社代表による講演に続き、新聞社のIT専門記者からフェイクニュースの歴史と現状について、わかりやすい講演があった。

最初に印象に残ったことは、かのジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)が『ガリア戦記』の中で、「人は自ら望むものを喜んで信じる」と語っていたという話だった。情報の"受け手"の心理を見事につかんだ言葉であり、これが紀元前の軍人によるものであることが感慨深い。

講師は、フェイクニュースのひとつの起源としてこれを紹介したのだが、遠くローマ時代と比較しなくても、スマホとソーシャルメディアの普及によってこの10年だけでも"自ら望む"情報の入手経路は急速に進んだ。

 

分科会での記者の講演で、もうひとつ印象に残ったことは、フェイクニュースの登場によって、逆に既存のメディアの信頼度が増していると言う。

大統領選でフェイクニュースの文字通り"洗礼を受けた"アメリカでは、最新の調査でメディアの信頼度が72%に達し、新聞記者がニクソン大統領を追い詰めたウォーターゲート事件直後の1976年以降で最も高い数字なのだ。

偽のニュースが横行したことによって、従来のニュースの信頼度が増すというのも皮肉なことだが、冒頭にホーナー氏の死を報じたBBCが速報ではない「急がないニュース」にも力を入れ始めたということも、ある意味で評価される。

かつて同じ英国のタイムズ紙は原稿をすべて過去形で書いていた。「憶測」は書かない、「起こったことのみ」「事実のみ」を書くというスタンスである。

 

フェイクニュースが話題になる度に、ある映画を思い出す。

『カプリコン1』という米英合作映画で、1977年(昭和52年)に公開された。

人類初の有人火星探査宇宙船カプリコン1号が打ち上げられるのだが、実は3人の乗組員は船に乗っておらず、砂漠にある基地に作られたセットで、火星探査の芝居をするというショッキングな内容だ。

40年も前の映画なのだが、映像技術が格段に発展した現在でもあり得るフェイクニュースである。

 

イギリスのオックスフォード辞典は、去年の言葉として「post-truth(脱真実)」を選んだ。「世論を形成するには客観的な事実よりも個人の感情や信条に訴えた方が影響力を持つ時代」という背景であり、今回のマス倫懇の討議でも度々この言葉が口にされた。

 

かつてのタイムズ紙には叱られるかもしれない憶測だが、「フェイクニュース」という言葉は、おそらく今年の流行語大賞にもノミネートされるだろう。

会社の後輩の小学4年になる息子さんは、家族でトランプ遊びをする前に、かの大統領の口調を真似て「フェイクニュース!」と叫ぶとか。

あながち憶測とは言えないかもしれない。

だからこそ「truth(真実)」にこだわらなければならない時代だと自戒したい。

 

東西南論説風(12)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿

甲子園とことん野球しませんか?

北辻利寿

2017年9月27日


画像:足成

その記念碑は校門を入ってすぐの場所にあった。
青森県三沢市にある県立三沢高校の校舎は、おだやかな春の光に包まれていた。
そして記念碑には大きな文字で「栄光は永遠に」と書かれていた。
今から半世紀近く前の1969年(昭和44年)、夏の全国高校野球大会で準優勝した野球部の功績を讃えてのものだ。

あの夏の三沢高校は、準優勝という"記録"以上に、太田幸司という投手の名前と共に
人々の"記憶"に残っている。
甲子園での決勝は、青森県代表の三沢高校と愛媛代表の松山商業高校の対戦となった。
三沢の太田幸司と松山商業の井上明、両投手は一点も与えず、ゲームは延長18回で0対0。
大会ルールによって再試合となり、翌日のゲームで松山商業が4対2で三沢を下して、優勝旗を手にしたのだ。
再試合を継投で闘った松山商業に対し、三沢は前日に続き太田投手がひとりで投げきった。18回と9回、太田投手は決勝戦で実に27回を投げたのだ。
小学生だった私が甲子園での高校野球を強烈に意識したのは、まさにこの名勝負からだった。
今も鮮明に覚えている。

そんなゲームはもう見られなくなりそうだ。
日本高校野球連盟は、来年春の選抜大会から「タイブレーク」制を導入することになった。11月に開かれる理事会で正式に決まる動きだ。
タイブレークは、試合を早く終わらせるためのルールで、すでにワールド・ベースボール・クラシック(WBC)などでも導入されている。
ドラフト会議注目の清宮幸太郎選手や中村奨成選手が出場した今夏のU-18ワールドカップでも、タイブレークの末に日本が勝ったゲームがあった。
高校野球で導入されるルールは、9回で決着がつかず延長戦に入った場合、13回からは「無死1・2塁から攻撃を行う」というものである。

タイブレーク制を導入する背景には、選手の健康面を考え負担を軽減しようという狙いがある。
今年春の選抜大会2回戦では、延長15回引き分け再試合がなんと2試合もあり、これがタイブレーク制への背中を押したようだ。

もともとは限度なく延長戦が続いていた高校野球も、三沢対松山商業の決勝からさかのぼること11年前、1958年(昭和33年)に「延長18回で打ち切り・再試合」。
そして2000年(平成12年)には、それをさらに縮め「延長15回で打ち切り・再試合」と改革は進められてきた。
延長18回と15回、このルール変更の合い間にあったゲームが、1998年(平成10年)夏の大会の準々決勝で、横浜高校の松坂大輔投手が、PL学園相手に250球を投げて勝った名勝負である。
そして、ルール変更後にあったゲームが、2006年(平成18年)早稲田実業高校の"ハンカチ王子"斎藤佑樹投手と駒大苫小牧高校の"マー君"田中将大投手が、決勝で延長15回を投げきった激闘である。
そのいずれもが高校野球史に残り、今なお語り継がれている。
こうした歴史もルール変更によって"今は昔"となりそうだ。これでいいのだろうか?

日本でこのタイブレーク制導入が話し合われていたほぼ同じタイミングで、海を越えた米国のメジャーリーグでは、イチロー選手が初めて"投げない敬遠"を体験していた。
これは試合時間短縮のために今季からMLBが採用した新ルールで、守備側の監督が球審に敬遠の意思を告げると、投手は1球も投げる必要なく、打者は四球となって1塁ベースで進むというものである。
初めての経験にイチロー選手は「ダメ。面白くない。ルールを戻すべき」と語ったそうだ。野球漫画『ドカベン』に登場する明訓高校の岩鬼正美選手は他の選手が打たない"悪球"を見事に打つ選手なのだが、敬遠のボールを打つドラマも新ルールではなくなってしまうのだ。これでいいのだろうか?

今回のタイブレーク制導入について、グランドの主役である選手たちはどう思っているのだろう。
はっきりと自分の言葉で「駄目だし」ができるプロのイチロー選手と違って、高校球児たちに意見を言う場はあるのだろうか?
延長戦によって感動をもらうのはゲームを見守る私たち観客だが、勝つ喜びや負ける悔しさなど直接的な感動を得るのは、グランドで闘う選手たちである。
悔いなくとことん闘ってほしいと願う。
「栄光は永遠に」・・・東北の地の高校に立つ記念碑の言葉が胸にしみる。 

【東西南論説風(11)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

歌舞伎界の"夫婦道"は続く

北辻利寿

2017年9月21日


画像:足成

秋の彼岸を迎えた。
ようやく秋の気配が感じられるようになった先日、今年6月に亡くなった元キャスター小林麻央さんの納骨がしめやかに行われたとの報が届いた。
今年の夏から秋にかけての悲しいニュースのひとつに、乳がんと闘ってきた麻央さんの死がある。
歌舞伎役者・市川海老蔵さんの妻でもある麻央さんの悲報は、芸能ニュースに留まらず、大きく報じられた。
 
その背景には、夫・海老蔵さんによる「がんの公表」と麻央さん本人による「闘病ブログ」の存在があったと思う。
去年6月、海老蔵さんは記者会見をして、妻が乳がんと診断されたことを発表、「比較的深刻」と医師から言われていると話した。
これを受けて3か月後に麻央さんはブログを始め、がんと闘う自らの日々を公開していった。
その中では症状が「ステージ4」と言われる重大な局面であることも明かし、その前向きな生き方に対し、イギリスのBBC放送は去年の「100人の女性」のひとりに麻央さんを選んだほど、大きな社会的反響を呼んだ。
ブログを読む多くの人たちにとっては、一緒になって麻央さんと闘っている思いだったように思う。
それだけに、6月23日に海老蔵さんが「人生で一番泣いた日です」と自らのブログを更新した時、何が起きたかを察知した人たちは多かった。

妻の死を受けて、海老蔵さんは記者会見に臨んだ。
その会見をテレビで見ながら、ちょうど1年前に、妻のがんを公表した時の記者会見を思い出した。
あの時も、すっかり大人になった歌舞伎役者・市川海老蔵がいた。
38歳の男性をつかまえて「大人になった」とは失礼な言い方ではあるが、決して大人とは言えない時期があったからだ。
二人が結婚した7年前に2010年、海老蔵さんは東京都内で飲酒がらみのトラブルに巻き込まれケガをする。
歌舞伎の舞台も休むほどの事態だった。
多くの歌舞伎ファンもそうでない人たちも、その所作にがっかりしたはずだ。
2年後には中村勘三郎さん、翌年には海老蔵さんの父・市川団十郎さん、さらに坂東三津五郎さんと歌舞伎界から多くの星が消えていった。

次世代を背負う海老蔵さんには厳しい目も向けられたが、それを支えたのが麻央さんだった。
「気丈にも」という言葉が当てはまるほど、梨園の夫をかばい、時に夫の代わりに詫びた。そんな妻によって、夫も変わったのだと思ったのが、麻央さんの病を公表した記者会見だった。
悲しみを抑えながら、それでも丁寧に記者の質問に答えていく姿には胸を打たれた。
心から奇跡を願った。

そして1年後のさらなる悲しみの記者会見。
昼夜にある舞台の合い間で行われた記者会見で、夫は涙を流したら逝った妻のことを語った。
会見で語られたことは、実に詳細かつ本音の部分が多かった。
「ずっとしゃべれずにいたのに息を引き取る瞬間、彼女が『愛してる』とひと言を言って」という言葉、しかしそれ以上に印象に残ったのは「どんな奥さんだったか」という質問への答だった・・・「僕を変えた奥さんなんじゃないか」。
このひと言に、夫婦が歩んできた7年間が凝縮されていたように思えた。

亡き妻の存在について尋ねられた夫はこう答えた・・・
「私のどんな部分もどこまでも愛してくれていた。彼女には私が役者として成長していく過程をずっと見守っていってもらいたかった存在です」
そこにはすっかり大人に成長した「市川海老蔵」という男性、そして歌舞伎役者の姿があった。

秋が深まりゆく中、これからも海老蔵さんの歌舞伎舞台は休みなく続く。
夫のさらなる成長を麻央さんは天国から見ることになるのだろう。
でも、夫婦でがんと闘った日々は、間違いなくひとりの素晴らしい歌舞伎役者を誕生させた。
それがこの夫婦の姿でもある。麻央さん、どうかゆっくりお休み下さい。                

【東西南北論説風(10)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

プロ野球・・・その言葉に喝!

北辻利寿

2017年9月13日

画像:足成

プロ野球のペナントレースも大詰めを迎えている。

阪神タイガースがペナントレースの順位を上げてきた時に「虎の足音が大きくなってきました」という表現を使うのは間違っている・・・これは、放送界の先輩である小塚博さん(元静岡放送)が著書『きょうから直したい言葉遣い』(文芸社)で指摘されていることだ。
なぜ間違っているのか?
虎や猫は肉球動物で足音を立てないからである。
でも、ふと使ってしまいそうな表現でもある。

最近気になるのは、プロ野球を伝えるスポーツ報道の世界での言葉遣いである。
まず「エース」という称号。
はっきり言って安売りのオンパレード。
ちょっと先発ローテーションに入って活躍しただけで、(自戒をこめて言うが)スポーツニュースもスポーツ紙も「エース」という言葉を使いたがる。
「エース」とは、チーム最高の先発投手であり、投手陣の柱。
そして何より、ここぞというゲームで必ず登板し勝つ、またはゲームを作る投手だと思う。

愛情があるからこそ、あえて中日ドラゴンズを例にとる。
背番号22の大野雄大投手。
ドラゴンズの選手会長でもあり、チームの顔のひとりなのだが、今シーズンは「大野エース復活か」という言葉をよく耳にした。
あえて言わせていただくならば、私はファンとして、大野がエースだったことはかつて一度もないと思っている。
現時点まだ左腕先発投手のひとりという解釈である。
なぜか?
大野投手は2011年(平成23年)にデビューして以来、実働は今季で7年目。
昨季まで6年間の通算成績は42勝42敗の五分。
2013年から3年連続で二ケタ勝利をあげているが、プロ野球のペナントレースが勝率を争う中で、勝ち星の貯金ゼロでエースなのだろうか?
今季も現時点で勝ち星の貯金はない。

かつてドラゴンズを率いた落合博満元監督は「5年連続で二ケタ勝ったら認めてやる」と語り、それに応えた吉見一起投手は、2008年から5年連続の二ケタ勝利をあげた。
その吉見投手の昨季までの通算成績は80勝39敗。
立派なものである。
落合さんと同じくドラゴンズの監督だった星野仙一さんが先日語っていたが「貯金してこそエース」。
大野投手には一大奮起していただき、本当の意味での「エース」という称号を手にしてほしい。
吉見投手は2軍調整中のため、今のドラゴンズのマウンドに「エース」は不在である。

もうひとつ気になるのが「守護神」という言葉。
抑え投手、最近で言うクローザーのことを言うのだが、「エース」以上に大安売りである。「守護神」という言葉からは、江夏豊、佐々木主浩、高津臣吾、そして我らがドラゴンズからは岩瀬仁紀・・・こうした顔ぶれが浮かぶが、今季もスポーツ紙を読んでいると、「守護神」という言葉のオンパレードである。
ひょっとしたら、抑えに出てくる投手すべてが「守護神」と呼ばれることになったのだろうか。
これも愛があるから厳しく言わせていただくならば、ドラゴンズの抑えをつとめている田島慎二投手。
まだ「守護神」とは呼びたくない。
今季も特にジャイアンツ相手に痛い逆転負けを何回くらったことか。
「神」ならば、ほぼ毎回抑えてもらわなければならない。

エースに守護神。
いずれも投手の称号だが、それに比べると打者の称号はないように思う。
「スラッガー」という言葉は称号とまでは言いがたい。
これもかつての落合語録なのだが、「野球のゲームで最初に攻撃できるのは、ボールを投げる投手」。
攻撃というとどうしても打つ方に目がいくが、その誤解を指摘した名文句だった。
その考えからすると、やはり野球は、投手が主役のスポーツなのかもしれない。

さて、冒頭の小塚さんは著書の中で正しい例として「虎が忍び寄ってきました」という表現をあげているが、熱烈なタイガースファンの心情としては、「忍び寄るなんてとんでもない。熱い応援によって一気に首位を狙ってやる!」くらいの勢いであろう。
5年連続の低迷を続けるドラゴンズファンとしては何ともうらやましい。

【東西南北論説風(9)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

いつかは誰もが高齢ドライバー

北辻利寿

2017年9月 9日

画像:足成

倉本聰さんが脚本を書いた連続ドラマ『やすらぎの郷』にこんな場面があった。

老人向け施設で暮らす石坂浩二さん演じる主人公・菊村栄らが、運転免許更新に出かける。そこで「認知機能検査」などを受ける。

菊村は合格したのだが、佐々木すみ江さん扮する岡林谷江は実車運転も含めた検査に通らず、免許を取り消されてしまう・・・。

 

高齢社会が進み、運転免許を持つ高齢者の数も増えている。

警察庁では事故の数を少しでも減らそうと、70歳以上の運転免許手続きに特別な講習義務を課した。

講義・視力などの検査そして実車運転からなる「高齢者講習」。

教習所のコースで実車運転をする「チャレンジ講習」など、簡単には免許更新ができないルールだ。

 

さらに今年3月から75歳以上に義務付けられたのが「認知機能検査」である。

これは、①時間の見当識(検査当日の年月日や時間を回答)、②手がかり再生(16種類のイラストを記憶して回答)、③時計描画(時計の文字盤を描き、指定された時刻の針を描く)・・・この3種類から成り、ドラマではこの内、②「手がかり再生」の場面が紹介されていた。

16種類の絵は、AからDまで4パターンの組み合わせがある。

例えば、Aパターンでは、「大砲」「オルガン」「耳」「トランジスタラジオ」「てんとうむし」「ライオン」「筍」「フライパン」「ものさし定規」「バイク」「ぶどう」「スカート」「ニワトリ」「薔薇」「ペンチ」「ベッド」この16の絵を記憶して、しばらく他の検査をした後に、覚えている分だけすべて答えるというもの。

ホームページなどでも公開されているので、私も試してみたが、なかなかの難問でもあった。

それだけ、ハンドルを持つ年齢のハードルは高くなっているということだろう。

さらに道路交通法では、75歳以上の高齢ドライバーが「信号無視」「通行禁止違反」「進路変更禁止違反」など18種類のどれかの違反をした場合、臨時の「認知機能検査」も新たに義務付けた。

 

交通死亡事故の数が14年連続で全国ワースト1の愛知県で、今月3日、相次いで2件、高齢者が関わった交通死亡事故があった。

この内、北名古屋市の事故は、79歳男性が運転する乗用車がバイクに追突してバイクの男性が死亡した。

また、豊明市の事故は88歳男性の運転する乗用車がこれも高齢者である86歳が乗った自転車と出会い頭に衝突して自転車の男性が死亡した。

 

愛知県の去年1年間の交通死者の数は212人だが、65歳以上の高齢者は117人と実に半数を超えている。

117人の内で四輪車での死者は30人。

65歳から74歳が14人、しかし75歳以上はそれを上回る16人だった。

 

こうしたルールでの事故防止の動きと共に、運転免許を自主的に返納することを促す動

きも加速している。

「高齢者運転免許自主返納サポーター」登録をしている店などで、「運転経歴証明書」を提示すると、薬や飲食の割引サービスも受けられる、スーパー銭湯の入場料も割引対象である。

もっとも、葬儀関連費用の割引については、「ここまでやるか」との思いは否めないが・・・。一方で、高齢者が暮らすのは公共交通機関が充実している都会ばかりではない。

その意味ではまだまだ新たな一歩が始まったばかりと言えそうだ。

 

冒頭のドラマで、免許証を取り上げられて怒った老女は、施設を訪れた客の外車を無断

で借りて、高速道路を猛スピードで逆走する大騒ぎを起こす。

事故が起きなかったのはドラマの世界だから。

「年寄り笑うな行く道じゃ」という言葉もあるように、老いは誰でも歩む道。

でも誰かを傷つけないよう"ブレーキ"だけは意識して歩みたい。

 

東西南論説風(8)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

次の五輪開催地、同時決定のワケ

北辻利寿

2017年9月 8日

【CBCテレビ イッポウ金曜論説室】

 

●アルゼンチンのブエノスアイレスからの熱狂、今も鮮明に覚えている方は多いのではないでしょうか?

今から4年前の2013年(平成25年)9月7日、IOC総会でロゲ会長が手にしたカードを裏返すと、そこには「TOKYO」の文字がありました。

決戦投票でトルコのイスタンブールを破り、2020年の五輪開催地として東京が決まった瞬間です。

 

●決定を現場で取材していたJNNロサンゼルス支局の大嶽昌哉元支局長は、この時の日本代表団の喜びについて次のように振り返ります・・・

「下馬評を覆しての大逆転勝利。『おもてなし』の言葉に代表された日本のプレゼンが、初めて国際社会で通用した手応えに沸いた」

 

●東京の次の五輪開催地を決めるIOC総会が、9月13日からペルーのリマで開催されます。

しかし、おそらく4年前の興奮はここにはないでしょう。

なぜなら2024年の開催地はすでにフランスのパリに内定しているからです。

それどころか、次の次、2028年の開催地もアメリカのロサンザルスに内定しました。

今回の総会は、東京五輪に続く2回の開催地を同時に決めてしまうという、きわめて異例の総会になります。

●五輪憲章には「7年前に開催されるIOC総会において投票により開催都市を決定する」とあります。

当初、2024年の開催地には、パリとロサンゼルスの他、イタリアのローマ、ドイツのハンブルク、そしてハンガリーのブダペストが立候補を予定していました。

しかし、パリとロサンゼルス以外の3都市は相次いで立候補を取り止め、残ったのがこの2つの都市でした。

●立候補取り止めの背景には、開催地に強いられる巨額の財政負担があります。

東京五輪では種目数が339と過去最多になり、こうした肥大化する競技数なども開催費用に負担をかけます。

またアテネやリオデジャネイロなど最近の開催地では、会場跡地の利用が必ずしもうまくいっていないなど、五輪という存在が今や決して「おいしい」ばかりではないという現実がそこにあるのです。

 こうした招致熱が冷えつつある事態に、せっかく手を上げてくれたパリとロサンゼルス、

この2つとも逃したくないと考えたのが、IOCでした。

ましてこの2都市は、それぞれ過去に五輪を2回開催している"ベテラン"。

こうした思惑から過去1世紀以上なかった異例の同時選定というシナリオが描かれたのでした。

●2024年の開催をパリに譲り4年後にまわることになったロサンゼルスには、準備期間が長きに渡ることから、18億ドル(約2000億円)の財政支援が行われることになりました。

 現JNNロサンゼルス支局の松本年弘支局長は、ロスの空気についてこう話します・・・

「メディアも市民も平静。11年先の開催である今ひとつピンと来ていないことに加え、

  3回目の開催となるため、ある意味五輪に慣れてしまっている。IOCから

  財政支援を引き出したのは見事な戦略だった」

●東京五輪・パラリンピックまで3年を切りました。

次の開催地選考で浮かび上がった課題の数々・・・「巨額の開催費用」「種目数の肥大化」「会場跡地の活用方法」。

これらは同時に東京そして日本にとっての課題でもあることを忘れてはいけません。

【イッポウ「金曜論説室」より  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

与那国島へ思いをはせて

北辻利寿

2017年8月29日

与那国という島のことを知ったのは、ノンフィクションライター・沢木耕太郎さんの

「視えない共和国」と題した文章だった。

読んだのはもう30年以上前のことだ。

島の人々とのふれあいなど100ページほどのエッセイの中、最も強烈に覚えているのは、天候など条件が良ければ台湾を見ることができるという記述だった・・・

 

"ひと目でいいから見てみたい。それはぼくが初めてこの眼で見る外国になるはずだった"
※沢木耕太郎(1977)『視えない共和国(『人の砂漠』収録)』(新潮社)

 

そう、日本にいながら"外国"を見ることができる島、それが与那国島なのである。

 

沖縄県にある与那国島だが、本島の那覇市とは500キロ以上離れている。

逆に台湾とは約110キロと近い距離にある。

日本の最西端に位置している島。

北朝鮮のミサイル計画によって緊張が走った今年の夏、数年前に訪れた与那国島のことを度々思い出した・・・。

 

石垣島の空港を飛び立った飛行機は、あっという間に着陸体制に入った。

そして与那国島の東部から海岸沿いの滑走路に滑り込む。

この空港には管制塔がない。

着陸の技は機長の腕次第と島の人は笑った。

晴れていても風が強いと降りることができない場合もあるそうだ。

島内は一周27キロ。

大きな風力発電機がある東崎(あがりざき)。風光明媚な迫力満点の立神岩(たちがみいわ)。大好きだったドラマ『Dr.コトー診療所』のオープンセットにも感激した。

病室からの海の眺めが心を癒す。

たくさんの与那国馬が自由に闊歩している東牧場線、そしてその向こうに広がる太平洋。中でも「日本最西端の碑」がある西崎(いりざき)は素晴らしかった。

たくさんのトンボが飛ぶ中で、東シナ海の美しさに思わず目を細めた。

しかし、雲ひとつない好天にもかかわらず、この日は台湾の島影を見ることはできなかった。

 

この与那国島に、自衛隊が駐屯してから2年目を迎えた。

私が島を訪れた数年前には、「歓迎!自衛隊」という看板と「自衛隊は来るな!」という看板が島内に混在していた。

この自衛隊の駐屯計画は、2009年(平成21年)に町が防衛大臣に対し「与那国島への陸上自衛隊部隊配置に関する要望」を提出するところからスタートした。

島にある二種類の看板のように意見を二分しながら、2015年(平成27年)2月の住民投票で賛成派が勝利し、去年3月28日、島の南東部に陸上自衛隊「西部方面情報隊与那国沿岸監視隊・第442会計隊」駐屯地が開設されたのだった。

 

与那国町は大きな問題を抱えていた。

人口減少である。

太平洋戦争後の1947年(昭和22年)には1万2000人いた島民人口も、その後減り続け、2011年(平成23年)には1680人。町の試算では2020年を過ぎると1500人を割り込むと推定されていた。

町はこの時に策定した「第4次総合計画」で5つの新規雇用策(観光・伝統的ものづくり・畜産・農業・水産業)を掲げて、この時点で1800人への回復をめざした。

そんな中で実現した自衛隊の駐屯。自衛隊員とその家族が移り住み、島内人口は今年5月に1726人と増加した。

 

島の人口減少対策の背中合わせにあるのは防衛問題である。

いわゆる「南西シフト」を考える防衛省は、与那国島に続き、石垣島そして宮古島にも、陸上自衛隊の実戦部隊配置を念頭に置く。

北朝鮮問題の緊張が続く中、先島諸島を舞台にしての防衛問題は、島の人口減少問題とリンクしながら、大きなうねりとなっているように思う。

そして、そのいずれの島も、今なお本島の基地問題に出口が見えない沖縄県、その島々なのである。

 

「台湾が見えますよ!」。

ホテルスタッフの声に驚いたのは、滞在3日目の夕暮れだった。

急いで西の海に目を凝らす。

その姿は想像をはるかに越えるものだった。

それは「島影」なんてものではなく、「山影」そして「大陸」のような姿だった。

その大きさに圧倒されながら、与那国島が"国境の島"なのだとあらためて思ったことを、今も鮮明に覚えている。

 

戦後72年。北朝鮮をめぐる世界の緊張の中、島はどんな夏を送ったのだろうか。

 

東西南論説風(7)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

【引用】

※ 沢木耕太郎(1977)『視えない共和国(『人の砂漠』収録)』(新潮社)

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